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ムシェロヴィチの新作(その3)

Musierowicz: Nie będę pisać o seksie i narkomanii (Musierowicz(ムシェロヴィチ):セックスと麻薬中毒者のことについては書かないわ)

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Małgorzata Musierowicz, autorka popularnego cyklu "Jeżycjada", zapowiada, że nie podda się presji i nie będzie pisać o seksie czy narkomanii.

人気シリーズ「イェジツィアーダ(Jeżycjada)」の作者であるMałgorzata Musierowicz(マウゴジャータ・ムシェロヴィチ)は、外部の圧力に屈することなく、セックスや麻薬中毒者のことは書かないと話した。



Właśnie ukazał się siedemnasty tom "Jeżycjady", zatytułowany "Czarna polewka". Autorka zapowiada, że nie zamierza zmieniać stylu swoich powieści. - Ja wybrałam konwencję humorystycznej powieści młodzieżowej i konsekwentnie ignoruję namowy oraz żądania krytyki literackiej, której poszczególne przedstawicielki usiłują mnie namówić do zmiany stylu i do nasycenia moich kolejnych książek zbrodnią, przemocą, seksem i goryczą oraz oczywiście problemem narkomanii - oświadcza w rozmowie z "Dziennikiem". - Każdy sam ustala swój styl. Czy saga Borejków nie jest tylko dziecinną utopią? No, a jeśli jest, to co z tego? Pasjami lubię to, czym biedny człowiek potrafi zaczarować rzeczywistość. Lubię, a wręcz uwielbiam fikcję literacką - tłumaczy.

イェジツィアーダ(Jeżycjada)シリーズの17巻目が本屋に登場した。タイトルは「Czarna polewka(黒いスープ)」。作者は、自分の作品スタイルを変えるつもりはないと話している。「私は、ユーモアのあるヤングアダルト小説の慣習を選んだの。文学批評にあるような説得や要求は一貫して無視することにしているの。特に出版代理人達は私に、作品スタイルを変えるよう説得してきたり、私の続きの本には犯罪、暴力、セックスに悲哀、それにもちろん麻薬中毒者の問題で満たすよう説得してきたりするわ」と新聞「Dziennik(日刊紙)」でのインタビューで話している。「皆、自分で自分のスタイルを決めるものでしょう。Boreiko(ボレイコ)家の苦労話はただの子供っぽいユートピアなのではないの?もしそうであるなら、それが何だというの?貧しい人が現実を魅了することができるという話が本当に好きなのよ。好きというより、本当にフィクション文学が大好きだわ」と説明した。

Autorka nie lubi wplatać realnych historii w fabułę swoich książek. - Wszystko wymyślam. Strasznie to lubię. Nie lubię opisywać realnych wydarzeń, bardzo mnie to nudzi - wyjaśnia. Pisarka prowadzi dziennik i mówi, że "odtwarzanie minionych wydarzeń jest dla niej najgorszą z kar". - Najwięcej miejsca poświęcam książkom, które właśnie czytam. Wygląda na to, że żyję w dwóch rzeczywistościach, przy czym w jednej z nich - wbrew upodobaniu. Trudno, żebym to nagle zmieniała - uważa. Bardzo lubi natomiast, gdy zgadzają się realia - miejsca, w których rozgrywają się wydarzenia.

ムシェロヴィチは現実の話を自分の本のストーリーに使うのは好きではない。「全て私が考え出すの。それが本当に好きなのよ。現実の出来事を描写するのは好きではないわ。飽き飽きしてしまうもの」と説明する。ムシェロヴィチは日記をつけており、「過ぎ去った日々の出来事を読み返すのは彼女にとって最もひどい罰である」という。「日記の大半は私が今ちょうど読んでいる本のことに費やしているの。私は二つの現実の中に生きているといえるわね。そのうちの一つは、自分の好みに反している世界。それを急に変えるのは難しいわ」と考える。その一方で、実物―事件が起こる場所が一致するのがとても好きである。

Musierowicz nie lubi porównywać się z innymi pisarzami i oglądać na to, co robią inni. - W literaturze to jest cudowne, że zapewnia swemu twórcy całkowitą wolność. Ale ostatnie słowo zawsze należy do czytelników - mówi. Nie zgadza się z tym, jakoby miała w Polsce dominować tandeta - książki głupie, złe, ponure lub nudne. - Ludzie mają więcej zdrowego rozsądku, niż można by przypuszczać - twierdzi.

ムシェロヴィチは他の作家と比較するのを嫌い、他の作家が何をしているのかを見るのも好きではない。「文学作品において素晴らしいのはその創作者に自由をすっかり保障していることね。でも最後の言葉はいつも読者にゆだねられているのだわ」という。ポーランドが安っぽい作品―くだらなく、ひどく、暗く、つまらない本―であふれてしまうということには納得できない。「それを許してしまうよりも、人にはもっと健全な分別があるはず」

O "Czarnej polewce" nie chce wiele zdradzić. - Aż sześciu mężczyzn w różnym wieku dostaje tam kosza, harbuza, rekuzę, czy, jak kto woli, czarną polewkę. Książka jest bardzo apetyczna, gruba, ciekawa i śmieszna - orzeka. Ujawnia jednocześnie, że już rozpoczęła pracę nad kolejnym tomem przygód rodziny Borejków, "Sprężyną". - Wiem, że muszę napisać jeszcze przynajmniej trzy tomy, żeby było ich dwadzieścia. To nie znaczy, że nie napiszę, jak będzie trzeba, kolejnych tomów, oczywiście w jakiejś symetrycznej, sympatycznej liczbie - śmieje się Musierowicz.

新作「Czarna polewka(黒いスープ)」についてはあまり内容を明かしたがらない。「何と、6人もの、様々な年齢の男性が、女性にふられてしまうの。この本はとても読みたくなるし、厚く、楽しく、そして面白いのよ」そう宣言する。同時に、もうボレイコ家の物語の続き「Sprężyna(バネ)」も書き始めていることを明かしている。「少なくとも後3冊は書かなければならないと思っているわ。合計20冊になるためにね。だからといって、もうそれ以上は書かないというわけではないのよ。必要であれば、その続きも書きたいわ。もちろんキリのよい、気持ちのよい数で終わるようにね」そういって、ムシェロヴィチは笑った。
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以上で、ムシェロヴィチの新作に関する記事の紹介は終わりです。

この記事の下には様々なポーランド人からのコメントが載っていました。
中には「ムシェロヴィチの作品は昔はとてもよかったけれど、最近はお金のために書いているようなもので、面白くない」と書いている人もいましたが、大半が、続きをまだまだ楽しみにしている少女たちのコメントでした。

ポーランドではこのムシェロヴィチ作品の人気は根強いのだなと感じさせられました。
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# by poziomka-bajka | 2006-10-12 22:37 | 児童書

ムシェロヴィチの新作(その2)

a0063469_23105495.jpgMałgorzata Musierowicz zaprasza na "Czarną polewkę" (Małgorzata Musierowicz(マウゴジャータ・ムシェロヴィチ)の新作「Czarna polewka(黒いスープ)」)

*訳注: タイトルの「黒いスープ」について補足します。ポーランドでは、男性が女性にお付き合いを申し出た際、女性の家族から、お付き合いを断る意味で黒い色をしたスープが出されることになっているそうです。

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17. tom z cyklu Jeżycjady Małgorzaty Musierowicz pojawił się w księgarniach.

Małgorzata Musierowicz(マウゴジャータ・ムシェロヴィチ)によるイェジツィアーダ(Jeżycjada)シリーズの17巻目が本屋に登場した。



"Od pierwszego ich pocałunku minęły już dwa miesiące" - tak zaczyna się kolejny tom Jeżycjady Małgorzaty Musierowicz. Czyj to był pocałunek? Kto planuje potajemny ślub? Komu zostanie podana tytułowa czarna polewka? Wszystkie odpowiedzi na te pytania, a także wiele zaskakujących historii z życia Waszych ulubionych bohaterów znajdziecie w "Czarnej polewce".

「彼らの初めてのキスからもう2ヶ月が経った」―マウゴジャータ・ムシェロヴィチによるイェジツィアーダの続きの1冊はこのように始まる。このキスは誰のものだったのか?誰がこっそりと結婚式を挙げようとしているのか?タイトルにもある黒いスープは誰に出されるのか?これらの質問に対する答え全て、そして読者のお気に入りの登場人物たちの生活に起こる驚くべき様々な出来事を、この本「Czarna polewka(黒いスープ)」で読むことができる。

Na okładce książki autorka umieściła twarz Ignacego Grzegorza Stryby, nastoletniego syna Gabrysi Borejko, jednej z głównych bohaterek Jeżycjady, być może to o jego pocałunku opowiada w "Czarnej polewce" Małgorzata Musierowicz?

本の表紙に、著者はIgnacy Grzegorz Stryba(イグナツィ・グジェゴシ・ストリバ)の顔を載せている。イェジツィアーダの主要登場人物の一人であるGabrysia Borejko(ガブリシャ・ボレイコ)の十代の息子である。マウゴジャータ・ムシェロヴィチの「Czarna polewka(黒いスープ)」では彼のキスについての物語なのだろうか?
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この本は3年ほど前に出た「Język Trolli(トロラの言葉)」というイェジツィアーダ15冊目の本の続きになっているようです。
実は私はこの「Język Trolli(トロラの言葉)」が初めてポーランド語で読んだイェジツィアーダシリーズなので、この本を是非読んでみたいと思っています。

続きの記事は追って訳を掲載します。
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# by poziomka-bajka | 2006-10-06 23:08 | 児童書

ムシェロヴィチの新作

Małgorzata Musierowicz(マウゴジャータ・ムシェロヴィチ)というポーランドの児童文学作家をご存知でしょうか。

日本でも4冊の本が翻訳されて出版されています。(「クレスカ15歳 冬の終りに」(岩波書店)、「金曜日うまれの子」(岩波書店)、「ノエルカ」(未知谷)、「ナタリヤといらいら男」(未知谷)―以上右のライフログに貼っておきましたのでご参照ください。)

ポーランドの少女に大変人気のある作家で、ポーランドのポズナンにあるJeżyce(イェジツェ)地区を舞台にした「Jeżycjada(イェジツィアーダ)」というシリーズを書き続けられています。

そのシリーズも今回発売された本で17冊目になりました。

その本の発売に伴って書かれた記事2編をご紹介したいと思います。

Małgorzata Musierowicz zaprasza na "Czarną polewkę" (Małgorzata Musierowicz(マウゴジャータ・ムシェロヴィチ)の新作「Czarna polewka」)

Musierowicz: Nie będę pisać o seksie i narkomanii (Musierowicz(ムシェロヴィチ):セックスと麻薬中毒者のことについては書かないわ)

記事の訳は枠を変えて記します。
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# by poziomka-bajka | 2006-10-03 21:48 | 児童書

ヨアンナ・パプジンスカ(予告編)

皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。

随分長いこと更新もせずに申し訳ございませんでした。

今日児童書の新しい話題を見つけたので、次回の話題として記しておきます。

Wznowiony debiut Joanny Papuzińskiej dla dzieci: Tygrysy z piżamki (Joanna Papuzińska(ヨアンナ・パプジンスカの児童書再デビュー:パジャマのトラ)

まだ最後まで訳していないヴィルコンの記事を終えてから、この話題に移りたいと思います。
お楽しみに!
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# by poziomka-bajka | 2006-01-15 02:18 | 幼児向け

ユゼフ・ヴィルコン(その4)

前回の続きです。
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アンドリオリがそれを紹介したのですね。

ミツキェヴィチが表現したまさにそのままにやってのけたのです。アンドリオリは偉大な古典派の画家でした。しかし、いくらミツキェヴィチが上級クラスの画家のように行動しながら物を目立たせることができたからといって、アンドリオリは全て演劇調で約束事の身振りで描いたのです。それはかつて長所として通っていました。アンドリオリはそれで評価されていたのです。ミツキェヴィチの中では一瞬で、急激な動きのあるものを、アンドリオリは静止した場面に変えました。例えば、ヤンキェルのコンサートの場面です。彼をシンバルのそばに配置するなんてナンセンスですよ。何か別の手立てに逃げる必要があります。ヤンキェルのコンサートでは別のことを指していたのです。音楽の力を借りて、ポーランドの歴史を語ることができたのですよ。プラガの大殺戮、四年議会、自由の喪失。古典的な絵画はこれにうまく対処していません。
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今日は短くてすみませんm(_ _)m
次回はこのシリーズ最後になると思います。
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# by poziomka-bajka | 2005-12-02 02:18 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その3)

前回の続きです。

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ヴィルコンさんのグワッシュ水彩画法に際して距離を置いたことは、ミツキェヴィチそのものからも距離を置く結果となったのでしょうか?

ミツキェヴィチの自然に対する感覚は私のそれと交差しています。「第四乃書」で、熊狩りの前の丸々一節が木々の表現に費やされています。これが自然を守ろうとする宣言であり、現代の自然の視点に立った表現なのです。それ以前は、木々はただ切り倒されるものであり、誰もそのことについてかわいそうだとは思わなかったのです。

ミツキェヴィチは記憶力と観察力には驚くべき才能がありました。他の人々がその存在さえ理解しないようなものにも目を向けました。誰が自然を観察するというのでしょうか。「パン・タデウシュ」の中で、ことあるごとに祝宴を催し、嵐の最中の動物たちの振る舞いをミツキェヴィチは考え出し、描写さえしたのです。例えば、「牡牛は大きな目を挙げて、しきりに空を仰ぎ/恐怖に口を開き、深々と溜め息を吐く/あとからゆく豚だけは不平を鳴らし、道草を食い/歯を剥き、麦束を盗み食い、備蓄用にかっさらう。」こんなことはばかげています。豚が「備蓄用に」なんて聞いたことがありません。豚はいつもただ食べているだけですから。

または、こんな描写はどうでしょう。公証人が警察署長と共にグレイハウンド(訳注:犬の種類)をウサギ狩りに出したときのくだりです。この震えたグレイハウンドは放された後、ウサギのかけひきに出くわします。跳ねながら、ひらりと身をかわし、犬たちを置き去りにして森の中へと消えていくのです。犬たちは途方にくれて、ぼうっと立ち尽くします。私は犬を飼っていましたし、犬たちと野原へ散歩にも行きましたから、怯えて飛び出したウサギがどのような行動を起こすか知っていますよ。

熊狩りのシーンはこの叙事詩中でも血なまぐさいシーンのうちのひとつですよね。熊が倒れ、犬たちが熊の血をぴちゃぴちゃなめるという・・・。ヴィルコンさんはこの残虐さに不快感を感じませんでしたか?

「愚かな熊よ!塒(ねぐら)にじっとしてさえいたら/執事に気づかれずに済んだろうに」大体、ここの場面でミツキェヴィチは熊の側に立っているのですよね。馬鹿だなあ、どうして出かけるのだね?と。ミツキェヴィチは地元のシュラフタ(貴族階級)が銃をどのようにつかんでいるのかを示しているのです。これは原生林の中にはもうあまり熊が生息していなかった頃の出来事でした。斥候はやっとのことで口にしたのですから。「熊だよ、もしあなた!」とね。
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「パン・タデウシュ」からの引用部分は「パン・タデウシュ 上・下」(アダム・ミツキェヴィチ作・工藤幸雄訳・講談社文芸文庫)より該当部分を引用しました。
こちらの本は欄外の「ライフログ」にリンクしていますので、ご興味のある方はご覧ください。
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# by poziomka-bajka | 2005-11-17 04:49 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その2)

前回の続きです。ユゼフ・ヴィルコン氏とのインタビュー部分です。

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ドロタ・ヤレツカ:ヴィルコンさんにとっての基準点となったのは何だったのでしょうか。ミツキェヴィチの文章ですか?それとも1881年に描かれたアンドリオリ(Andriolli)の有名なロマンチックなイラストだったのでしょうか?

ユゼフ・ヴィルコン:私の構想は、アンドリオリのビジョンを意識的に投影したものでした。私はその絵を遠くに立てかけました。というのは、概観的に捉えたかったからです。―強大な自然、その中に見える遥かなるシルエット。ミツキェヴィチの劇作品を既にアンドリオリが示していたと考えました。物語の筋の要所を選んでいたからです。「パン・タデウシュ」の雰囲気をかもし出していた舞台を、風景を見に行きました。きのこ狩り、星についての会話、夜の戯れ。これらが証明するのは、ミツキェヴィチが―隠喩的に言いますが―自然画家としての印象派であったということです。そこには古典的な表現技術はなく、ただある出来事の意味を示す新しい形式があるだけです。躍動的で、それでいて繊細な形式が。それはかろうじて触れたもの、わずかに開いた木戸の震えのようなものです。タデウシュは誰かがいるということを知っていた。しかし、誰かは分からなかった。とにかく、そのことが物語の筋に素晴らしく作用しています。そのおかげで、後にゾーシャとテリメーナを間違えることができたのですからね。

「(彼(=タデウシュ)が)気がつく前に、輝くように、突然に、静かに、軽やかに、まるで1ヶ月の光のような彼女が飛び込んできた」タデウシュはここ、太陽の下で見つめていて、目がくらんでいる。

ミツキェヴィチは、移民になって既に丸20年が経過していました。つまり、感覚的な望郷の念から書いていたのです。若い頃の思い出がいつも脚色されていきました。彼が世界に出たのはまだ若い時です。その時頭には世界のビジョンが形作られていたでしょう。もし大人になってそのビジョンがコントロールされるようになったら、それは感情的なショックとなったでしょう。そんなことをする必要はなかったのです。

ヴィルコンさんがそれをなさったのですか?

よせばいいのに、幼少期を過ごした場所へ行ったのです。私は、ヴィエリチカ(Wieliczka)近郊のボグチーツェ(Bogucice)という所で生まれました。18歳の時にそこを出て、クラクフの芸術大学(美術アカデミー)(ASP = Akademia Sztuk Pięknych)へ通いました。そして30年ぶりに故郷へ帰ったのです。その時まず思ったことは、人間は自然に対して何てことをしたのだ、ということでした。その次に思ったことは、子供は自分の身長と比較しながら全てを覚えているものだということです。つまり、実物よりいくらか大きく思っていたのですね。池の近くの野原を横切って学校へ通っていたものですが、そこで私が見たのはプシェミシル(Przemyśl)へと続くバイパスでした。よく牛の番をしていた大きな放牧地には、バラックが建ち並んでいました。村の名前さえなく、ヴィエリチカに吸収されてしまっていました。
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次回へ続きます。続きもお楽しみに!
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# by poziomka-bajka | 2005-11-11 02:24 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その1)

ポーランドの絵本にご興味のある方なら一度は耳にしたことがある名前ではないでしょうか。
ユゼフ・ヴィルコン(Józef Wilkoń)は日本でも有名な絵本画家で、日本の公式ホームページもあります。
ユゼフ・ヴィルコン 日本公式ホームページ

そんなヴィルコンが、ポーランドの偉大なる叙情詩「パン・タデウシュ(Pan Tadeusz)」(アダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz)作)に絵をつけたものが発売される、というのが今回取り上げる記事です。
「発売」といっても、ポーランドの有名な新聞の一つ、「選挙新聞(ガゼタ・ヴィボルチャGazeta Wyborcza)」の付録「19世紀文学コレクション」の一つとして出版されたようです。(11月7日発売となっています。)

さて、その記事はこちら。
Kolekcja XIX wieku: "Pan Tadeusz" z ilustracjami Józefa Wilkonia

以下、記事の訳です。
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19世紀コレクション:「パン・タデウシュ」をユゼフ・ヴィルコンの挿絵で

インタビュアー:ドロタ・ヤレツカ 2005年11月7日、最終更新2005年11月8日12時30分

今日からキオスクにユゼフ・ヴィルコンの挿絵による「パン・タデウシュ」が並べられる。挿絵は既に60年代、70年代に「パン・タデウシュ」のために描かれたものであるが、今回、我々の「19世紀コレクション」のために新たに数枚の挿絵を加えてもらった。
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ここまでが、ヴィルコンとの対談の前までの訳です。
対談の訳は、明日以降徐々にアップしていこうと思います。お楽しみに。
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# by poziomka-bajka | 2005-11-09 04:37 | 画家

このブログについて

大学時代よりポーランドの児童書に関心を持ち、ポーランドの児童書を翻訳して日本の子供たちに紹介したいと願い続けて早数年が経ちました。
結婚してポーランドに住み始めてからは、ホームページを作り、そこにポーランドの児童書を紹介するコーナーを作ったり、ブログを始めてポーランドの日々の生活などを綴ったりしてきましたが、ポーランドの児童書に関する記事を紹介してみてはどうかとふと思い立ちました。

それは、私自身もポーランドの児童書に関する情報を集める為でもありますので、記事の選び方は私の独断によるものになります。その為、少し偏った情報になってしまうかもしれませんが、ご了承ください。
また、記事の翻訳は私の趣味の範囲で訳しているものですので、著作権の問題などは一切確認しておりませんが、親記事のリンクは貼っていきます。

記事や翻訳についてのご意見、ご質問等ございましたらお知らせ頂ければと思います。
記事の翻訳の無断使用はご遠慮頂きますようお願い致します。

それでは、どうぞよろしくお願い申し上げます。

P.S. ペンネームにした「poziomka」というのはポーランド語で「野いちご」という意味で、私の気に入っている言葉です。
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# by poziomka-bajka | 2005-11-09 03:00 | はじめに