カテゴリ:画家( 4 )

ユゼフ・ヴィルコン(その4)

前回の続きです。
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アンドリオリがそれを紹介したのですね。

ミツキェヴィチが表現したまさにそのままにやってのけたのです。アンドリオリは偉大な古典派の画家でした。しかし、いくらミツキェヴィチが上級クラスの画家のように行動しながら物を目立たせることができたからといって、アンドリオリは全て演劇調で約束事の身振りで描いたのです。それはかつて長所として通っていました。アンドリオリはそれで評価されていたのです。ミツキェヴィチの中では一瞬で、急激な動きのあるものを、アンドリオリは静止した場面に変えました。例えば、ヤンキェルのコンサートの場面です。彼をシンバルのそばに配置するなんてナンセンスですよ。何か別の手立てに逃げる必要があります。ヤンキェルのコンサートでは別のことを指していたのです。音楽の力を借りて、ポーランドの歴史を語ることができたのですよ。プラガの大殺戮、四年議会、自由の喪失。古典的な絵画はこれにうまく対処していません。
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今日は短くてすみませんm(_ _)m
次回はこのシリーズ最後になると思います。
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by poziomka-bajka | 2005-12-02 02:18 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その3)

前回の続きです。

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ヴィルコンさんのグワッシュ水彩画法に際して距離を置いたことは、ミツキェヴィチそのものからも距離を置く結果となったのでしょうか?

ミツキェヴィチの自然に対する感覚は私のそれと交差しています。「第四乃書」で、熊狩りの前の丸々一節が木々の表現に費やされています。これが自然を守ろうとする宣言であり、現代の自然の視点に立った表現なのです。それ以前は、木々はただ切り倒されるものであり、誰もそのことについてかわいそうだとは思わなかったのです。

ミツキェヴィチは記憶力と観察力には驚くべき才能がありました。他の人々がその存在さえ理解しないようなものにも目を向けました。誰が自然を観察するというのでしょうか。「パン・タデウシュ」の中で、ことあるごとに祝宴を催し、嵐の最中の動物たちの振る舞いをミツキェヴィチは考え出し、描写さえしたのです。例えば、「牡牛は大きな目を挙げて、しきりに空を仰ぎ/恐怖に口を開き、深々と溜め息を吐く/あとからゆく豚だけは不平を鳴らし、道草を食い/歯を剥き、麦束を盗み食い、備蓄用にかっさらう。」こんなことはばかげています。豚が「備蓄用に」なんて聞いたことがありません。豚はいつもただ食べているだけですから。

または、こんな描写はどうでしょう。公証人が警察署長と共にグレイハウンド(訳注:犬の種類)をウサギ狩りに出したときのくだりです。この震えたグレイハウンドは放された後、ウサギのかけひきに出くわします。跳ねながら、ひらりと身をかわし、犬たちを置き去りにして森の中へと消えていくのです。犬たちは途方にくれて、ぼうっと立ち尽くします。私は犬を飼っていましたし、犬たちと野原へ散歩にも行きましたから、怯えて飛び出したウサギがどのような行動を起こすか知っていますよ。

熊狩りのシーンはこの叙事詩中でも血なまぐさいシーンのうちのひとつですよね。熊が倒れ、犬たちが熊の血をぴちゃぴちゃなめるという・・・。ヴィルコンさんはこの残虐さに不快感を感じませんでしたか?

「愚かな熊よ!塒(ねぐら)にじっとしてさえいたら/執事に気づかれずに済んだろうに」大体、ここの場面でミツキェヴィチは熊の側に立っているのですよね。馬鹿だなあ、どうして出かけるのだね?と。ミツキェヴィチは地元のシュラフタ(貴族階級)が銃をどのようにつかんでいるのかを示しているのです。これは原生林の中にはもうあまり熊が生息していなかった頃の出来事でした。斥候はやっとのことで口にしたのですから。「熊だよ、もしあなた!」とね。
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「パン・タデウシュ」からの引用部分は「パン・タデウシュ 上・下」(アダム・ミツキェヴィチ作・工藤幸雄訳・講談社文芸文庫)より該当部分を引用しました。
こちらの本は欄外の「ライフログ」にリンクしていますので、ご興味のある方はご覧ください。
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by poziomka-bajka | 2005-11-17 04:49 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その2)

前回の続きです。ユゼフ・ヴィルコン氏とのインタビュー部分です。

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ドロタ・ヤレツカ:ヴィルコンさんにとっての基準点となったのは何だったのでしょうか。ミツキェヴィチの文章ですか?それとも1881年に描かれたアンドリオリ(Andriolli)の有名なロマンチックなイラストだったのでしょうか?

ユゼフ・ヴィルコン:私の構想は、アンドリオリのビジョンを意識的に投影したものでした。私はその絵を遠くに立てかけました。というのは、概観的に捉えたかったからです。―強大な自然、その中に見える遥かなるシルエット。ミツキェヴィチの劇作品を既にアンドリオリが示していたと考えました。物語の筋の要所を選んでいたからです。「パン・タデウシュ」の雰囲気をかもし出していた舞台を、風景を見に行きました。きのこ狩り、星についての会話、夜の戯れ。これらが証明するのは、ミツキェヴィチが―隠喩的に言いますが―自然画家としての印象派であったということです。そこには古典的な表現技術はなく、ただある出来事の意味を示す新しい形式があるだけです。躍動的で、それでいて繊細な形式が。それはかろうじて触れたもの、わずかに開いた木戸の震えのようなものです。タデウシュは誰かがいるということを知っていた。しかし、誰かは分からなかった。とにかく、そのことが物語の筋に素晴らしく作用しています。そのおかげで、後にゾーシャとテリメーナを間違えることができたのですからね。

「(彼(=タデウシュ)が)気がつく前に、輝くように、突然に、静かに、軽やかに、まるで1ヶ月の光のような彼女が飛び込んできた」タデウシュはここ、太陽の下で見つめていて、目がくらんでいる。

ミツキェヴィチは、移民になって既に丸20年が経過していました。つまり、感覚的な望郷の念から書いていたのです。若い頃の思い出がいつも脚色されていきました。彼が世界に出たのはまだ若い時です。その時頭には世界のビジョンが形作られていたでしょう。もし大人になってそのビジョンがコントロールされるようになったら、それは感情的なショックとなったでしょう。そんなことをする必要はなかったのです。

ヴィルコンさんがそれをなさったのですか?

よせばいいのに、幼少期を過ごした場所へ行ったのです。私は、ヴィエリチカ(Wieliczka)近郊のボグチーツェ(Bogucice)という所で生まれました。18歳の時にそこを出て、クラクフの芸術大学(美術アカデミー)(ASP = Akademia Sztuk Pięknych)へ通いました。そして30年ぶりに故郷へ帰ったのです。その時まず思ったことは、人間は自然に対して何てことをしたのだ、ということでした。その次に思ったことは、子供は自分の身長と比較しながら全てを覚えているものだということです。つまり、実物よりいくらか大きく思っていたのですね。池の近くの野原を横切って学校へ通っていたものですが、そこで私が見たのはプシェミシル(Przemyśl)へと続くバイパスでした。よく牛の番をしていた大きな放牧地には、バラックが建ち並んでいました。村の名前さえなく、ヴィエリチカに吸収されてしまっていました。
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次回へ続きます。続きもお楽しみに!
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by poziomka-bajka | 2005-11-11 02:24 | 画家

ユゼフ・ヴィルコン(その1)

ポーランドの絵本にご興味のある方なら一度は耳にしたことがある名前ではないでしょうか。
ユゼフ・ヴィルコン(Józef Wilkoń)は日本でも有名な絵本画家で、日本の公式ホームページもあります。
ユゼフ・ヴィルコン 日本公式ホームページ

そんなヴィルコンが、ポーランドの偉大なる叙情詩「パン・タデウシュ(Pan Tadeusz)」(アダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz)作)に絵をつけたものが発売される、というのが今回取り上げる記事です。
「発売」といっても、ポーランドの有名な新聞の一つ、「選挙新聞(ガゼタ・ヴィボルチャGazeta Wyborcza)」の付録「19世紀文学コレクション」の一つとして出版されたようです。(11月7日発売となっています。)

さて、その記事はこちら。
Kolekcja XIX wieku: "Pan Tadeusz" z ilustracjami Józefa Wilkonia

以下、記事の訳です。
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19世紀コレクション:「パン・タデウシュ」をユゼフ・ヴィルコンの挿絵で

インタビュアー:ドロタ・ヤレツカ 2005年11月7日、最終更新2005年11月8日12時30分

今日からキオスクにユゼフ・ヴィルコンの挿絵による「パン・タデウシュ」が並べられる。挿絵は既に60年代、70年代に「パン・タデウシュ」のために描かれたものであるが、今回、我々の「19世紀コレクション」のために新たに数枚の挿絵を加えてもらった。
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ここまでが、ヴィルコンとの対談の前までの訳です。
対談の訳は、明日以降徐々にアップしていこうと思います。お楽しみに。
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by poziomka-bajka | 2005-11-09 04:37 | 画家